棋は対話であり、将棋ウォーズはSNSである
- date : 2026-04-21
- category : Game
初段達成以降ダラダラと惰性で指していたのだが、ついに将棋ウォーズに飽きてきた。
将棋自体に全く興味がなくなったわけではないのだが、
初段を目指していたときと違って目標もない。
当然勉強もしていないので棋力が上がるわけでもない。
そういう状態で指していることにマンネリを感じてしまった。
そもそも初段に上がる際も
「勝ちたいだけなら奇襲戦法で序盤を飛ばして終盤にすると効率がいい」
「相手の知らない形ならなお良い」
「角交換振り飛車(ゴリゴリ金ややばボーズ流)を指そう」
という傾向と対策に割り切った考え方だったので
将棋ウォーズの初段で免状は貰ったものの「本当に自分は初段を名乗っていいのか?」みたいな後ろめたさもあった。
果たして自分は将棋と向き合ったと言えるのだろうか。
また、将棋ウォーズの環境もここ数年でかなり変化し偏ってきているように感じる。
ゴリゴリ金なんて私が目をつけた頃にはほとんど見かけなかったが、最近はそこそこの頻度で当たる。
使っているときは「知らないから受からないだけだろう」と思っていたが、受ける側になってみると、知っていても意外と難しい。ちゃんと受けきってしまえば大したことはないのだが、そういう攻めをひたすら面倒見る将棋は疲れる。何より時間が足りない。
たまには綺麗な四間飛車を指してみるかと角道を止めてみると、恐ろしい確率で右四間飛車にされる。何なら角道をまだ止めてないのに「どうせ止めるんだろ?」とばかりに右四間飛車にしてくる人すらいる。いくらなんでも「なんでも右四間飛車」過ぎるだろ。藤森先生の影響だろうか。みんな将棋放浪記大好きだもんな。いつか「四間飛車を指しこなす本」で勉強したような形になることはほとんどない。指しこなさせてくれよ、四間飛車を。
私が本格的に将棋ウォーズを始めた5~6年くらい前はもう少しゆっくりとした定跡っぽい形をよく見かけた印象がある。
中でも居飛車穴熊との遭遇率は、現在と比べるとかなり高かった。「玉をしっかり囲う戦法は切れ負けと相性が良い」という考え方が当時の級位者帯では主流だったのだ。「玉が薄かろうが攻めて主導権を握った方が有利」みたいな昨今の環境とは真逆だ。
当時はなんとか居飛車穴熊に一泡吹かせたくて、背伸びして藤井システムを覚えたりしたものである。
みんなどこへ行ってしまったのか。真面目に定跡を勉強していた人たちは俺のような凡夫を置いてとっくに二段三段と上に行ってしまったのか。それとももうウォーズをやめてしまったか。ひとりにしないでおくれ。
傾向と対策で初段になっておいて言うのもなんだが、個人的には将棋の醍醐味って、矢倉とか四間飛車に組んで
「よくわからないけど幾何学的に美しい!」
「たぶんプロでも似たような形になるやつだ!」
って悦に浸る瞬間にあると思っている。
似たような形をプロも指している、いや、それどころか下手したら江戸時代にはもう指されていたかもしれない。
そう思うときに途方もない浪漫を感じる。これは他のゲームにはない将棋の特色だろう。
さりとてネット対戦の環境が煮詰まるのは仕方がない。実際自分もその環境をハックしたのだし、文句を言うつもりはない。
いま流行している形は「ランダムマッチ・切れ負け・レーティング」という将棋ウォーズの環境で醸成されたもので、新時代の定跡なのだろう。
「棋は対話なり」という言葉もあるが、独自のスラングのような言葉が飛び交う将棋ウォーズがSNSとだぶって見えるときがある。そのスピードや情報量に少し疲れてしまった。
ちょっとウォーズはお休みして、しばらく棋譜並べや定跡本などでゆっくり勉強してみようかと思う。これも一種のデジタルデトックスというやつだろうか。これで棋力が伸びればいいのだが、果たして。