2024年をふりかえって
- date : 2025-02-22
- category : Diary
どうもPCの調子が悪く、昨年の11月末に思い切って新調した。
ところが、思い切りが良すぎて諸々の環境の移行のことをほとんど考えていなかった。ホームページの制作環境も失くしてしまった。
重い腰を上げて、ようやく更新できる状態まで復旧した。いまさらかもしれないが、一足遅く2024年を振り返ってみようと思う。もう2月も終わろうと言うのに。もしかしたら世界一遅いかもしれない。
2024年は計18曲アップロードした。
過去作をリメイクしたものもあるので水増しされた数ではあるが、月に1曲程度はアップロードしたいという目標は概ね達成できた。
一度公表した曲をリメイクするというのは本来あまりすべきではないかもしれない。自ら、自分のアマチュア性や未熟ぶりを喧伝しているようなものである。こんなにも堂々再アップしまくるミュージシャンなどいないだろう。まあ、実際にアマチュアで未熟なのだし、誰が困るわけでもないのだから、直したいだけ直してしまえばよいのだと、開き直ってしまうことにした。そうやっていると無限に直し続けてしまいそうで、2024年にアップロードした曲たちも、もう修正したいとすら思うのだが……。
修正したいところがあるというのは、それだけ自分が成長しているという証である。性根がネガティブなので、つい自虐的になってしまうが、たまには自分をほめてあげてもいいだろう。まあ、がんばったんじゃないですか。
2024年でDTMを初めて3年経った。
最初にアップロードした曲などはとっくに非公開になっているのだが、正直聞くに堪えない。無論、当時の自分の全力ではあるが。これを聞いてくれた方、ましてリアクションまでしてくれた方がいるということに今更ながら感謝したい。特にニコニコ動画でコメントしてくれた方。「歌詞がよい」とほめていただけたことで、勘違いして続けることができた。今思えば他に褒めるところがなかったのかもしれないが。曲やイラストなどは自分より良いものを作る人が唸るほどいると思う。しかし、歌詞だけは、自分にしては珍しく、それなりに自信がある。唯一の長所と言ってもいい。もとより作詞の真似事をしたくて曲を書き始めたようなところもある。そこに触れてもらえたことは何よりの自信になった。
反面、音についてはひどいものだったと我ながら思う。一体全体、貴様は普段聞いている音楽をどのように捉えているのだ、と問いただしたくなるような出来である。時間をかけて作っていると、時間をかけて作ったのだから、という気持ちが耳を鈍らせてしまうのだと言い訳をしておく。3年目にしてようやく、ちゃんとリファレンスの曲を決めて途中で比較・検討するということを覚えた。も っと早くやらんかい。
初めのころは曲を打ち込むだけで精一杯だったので仕方ない面もある。アコースティックギターでの弾き語りしか音楽経験がなく、ピアノロールを見ては立ち尽くし、ドラムパターンなどと言われてもきょとんとするような状態でDTMを始めたものだから、にっちもさっちもいかなかった。ひどいときは3/4拍子の曲を「何か区切りがおかしいぞ」と思いながら4/4拍子で打ち込み続け「どうやら拍子の設定がまずいらしい」と、かなりの量を打ち込んだ後で気づいたこともある。
短調のこともよくわかっていなかった。オクターブ奏法で曲を作ってみたことがある。可不にうたってもらう段階で、メロディの調を設定しなければならないのだが、どの調に設定してもうまくメロディがはまらない。C#マイナーキーなど当時の私の辞書には存在しなかった。オクターブ奏法で作った曲が偶然短調になっているなんて思いもしなかった。これも三日四日気づかず、しばらくは適当な設定にしたままで、調子外れにうたってもらっていた。ひどい話だ。
そんな調子で、自分の頭の中を再現するのに必死だったため、他の曲と比べてどうか、という観点が抜け落ちていた。でも、その必死な時間もちゃんと必要だったと今は思う。
2024年はアルバムを1枚リリースした。
これは2024年中にどうしても実現したいと思っていた。リリースした際にもブログに書いたが、昔のリスナーとしての自分が、アルバムという単位で音楽を聞くことに特別な意味を感じていたからである。一見、何の関係のないように思える曲たちが折 り重なって出来る世界を見ているのが好きだった。
そんな気持ちをしばらく忘れていた。忘れていたので、アルバムを作ろうという発想がなかった。けれど、去年水瀬いのりさんの「glow」というアルバムを聞いたときに、心底素晴らしいアルバムだなと感じて。アルバムっていいな、という気持ちを思い出したときに、ふと自分も作ろうかと思った。
作ってみると、何も考えずがむしゃらに発表してきた曲をまとめただけのようで、しっかり自分の感じてきた気持ちや見てきた景色がそこにあって。織りなす世界があるような気がして。自分の足跡を振り返るという意味でも、作ってよかったなと思う。
「この曲は自分のための唄なんじゃないか」と思うことがある。いや、あった。思春期の頃はよくあった。でも、それなりに大人になってくると、そうでもないな、とわかったような顔をし始める。「あの頃は若かった。勘違いだった」と、恥ずかしくて冷めた顔をしてみる。「音楽に救われたなんて大げさだよ」とか言ってみる。新譜を聞いたって「ほほう、今はこういう音が流行りなんだな」と三拍子も短調も使いこなせないくせに俯瞰で音楽シーンを見たがる。俯瞰で見たところで、自分の現在地なんてどこにもないくせに。ああ、そうだった。どこにも居場所なんてないし、だいたいもう、とっくに世界に音楽は足りている。
正直もうやめようかと思っていた。アマチュアなんだから、やめるも続けるもないけれど。折るほどの筆も持たないのだれど。何せ全て数字で出る世の中だ。全世界アマチュア大会にいつも参加させ られているようなものだ。嫌でも結果はついて回るし、嫌でも他人や過去の自分と比べてしまう。自分の作っているものに果たして意味があるのだろうかと考えたくなるときもある。わかってますよ、意味なんてないことくらい。伸びなくてもいいですよ。下手だし、未熟なんだから。数字なんてただの数字。いちいち傷つく必要なんてない。自分に期待しているわけじゃあるまいし。身の程だって、こんなものだってちゃんとわかっているつもり。好きになってもらえるわけないし、好きになってもらえなくたっていい。
だとしたら、創意工夫の果ては何?
くだらない。もうやめてしまおう。
そういう精神状態のときに「glow」を聞いて、これは自分のための唄かもしれないと思った。例によって大げさな勘違いなのだけれど、久々にそう思えた。
そういえば、なんでわざわざ曲なんて書いているんだっけ。たぶん、ずっと欲しかったのは自分のための唄だったんだろうな。自分が自分のためにしてあげられることが、それくらいしかなかったんだった。居場所も何も、最初から自分の中にあるもので、渡したいのはまず自分自身で。それならまだ、続ける意味もあるかもしれない。自分のための唄をこしらえることに、それを大切に思うことに、誰の許可も評価も必要ない。たとえ誰の記憶にも残らなくとも、未来の自分に向けて種を蒔くような気持ちでいられるかもしれない。素直にそう思えた。
そんなこんなで懲りずに曲を作っては公開し続けていたら、リアクションをくれる人も少しだけ増えてきた。インドネシアから絵文字や英語を駆使してコメントをくれる人もいた。インドネシアって公用語はなんだっけ。少なくとも英語ではないような気がする。いずれにしても伝えようとしてくれる気持ちがありがたい。「インドネシアにはあなたのファンがたくさんいます!」だってさ。もしそうならとってもうれしいけれど、Youtubeのアクセス解析を見ているとそうでもないんだけどな、とか思ったり。ちょっと話盛ってないか?笑
ある日、そのインドネシアの方からこんな一文が届いた。
「your music is the reason i still have a hope to overcome my life problem」
(あなたの音楽のおかげで、私は人生の問題を乗り越える希望をまだ持っているのです)
本当かよ。大げさだろ。でもちょっと泣いてしまった。自分の唄も、誰かの唄になれているのかもしれない、と初めて思えた。
唄を作ることが種を蒔くことだとしたら、咲かせてくれるのはきっと、聞いてくれた誰かだな。
数字なんてただの数字。これからも懲りずに自分の唄を作ろうと思います。届かなくたってきっともうやめないけど、ひとつだけ我儘を。
「願わくば私の唄が、あなたの唄でもありますように!」
2025年もがんばります。